Luca Scandinavia | 北欧ヴィンテージ・工芸・アート
チェックリストを見る / Check list

商品をクリックすると詳細ページに移動します。「まとめてお問合せする」から、気になる商品についてご質問、ご要望を送信できます。


チェックリストはありません。

Finn Juhl
NV45 in Walnut from arch.Knud Blach Petersen

デンマークを代表する家具デザイナー、Finn Juhl/フィン・ユールによる名作椅子"NV45"です。初期の工房ニールス・ヴォッダー製、1960年代に活躍したデンマークの建築家、Knud Blach Petersen氏の旧蔵品として地元のオークションに出品されたものです。フレームはウォルナット材、刻印はありません。当店がこれまで取り扱ってきた同品と少々異なる箇所がいくつか見られますが、どのような経緯で細部の違いが生じているのかはわかりません。製造年は相応に古いようで、オークションハウスでは1950年代の製品として扱われていました。また、左右のアーム付け根に呼び継ぎが見られますが、ダメージによる補修呼び継ぎでは無く、製作時に木取りが足りなかったための接ぎ木ではないかと思われます。コンディションにつきまして、アームの先端、脚部の上部に経年によるクラックが見られますが、緩みは無いのでこのままとします。アームの側面などにわずかな当たり傷が見られます。ファブリックは数年前にDanish Art Weaving製の生地を用いて張り替えられたようですが、日本国内のショールームにて展示に使われていた為、使用感なく綺麗な状態です。替えのクッションが一枚付属します。

Niels Vodder circa 1950's
Walnut, Wool fabric (Danish Art Weaving)
Without stamp
w-70, d-78, h-84, sh-40cm
ご売約となりました。ありがとうございました。

SOLD

Knud Blach Petersen - Glasalstrup in Hasselager
Knud Blach Petersen - Glasalstrup in Hasselager (YouTube)
Knud Blach Petersen - Gellerup Kirke

Finn Juhl/フィン・ユール 1912-1989
コペンハーゲン生まれ。父親は権威主義的な思想を持つ繊維卸売業。母親はフィン・ユールが生まれて間もなく他界。幼い頃から美術史家を夢見て育ち、十代の頃は各美術館に出向くなど、美術の鑑賞や研究に多くの時間を費やします。しかし父親は、美術の世界では生きられないであろうと考え、若きフィン・ユールに建築を学ぶ事を推します。1930~34年、デンマークの主たる建築家であり著名な講師のカイ・フィスカーに師事、デンマーク王立芸術アカデミーの建築学部で建築を学びます。学生だったフィン・ユールの能力を建築家のヴィルヘルム・ラウリッツェンが見出し、ラウリッツェン建築事務所に招き入れます。その後、10年間に亘り、ラウリッツェンの建築事務所に勤務。デザイナーのヴィゴ・ボイセンと緊密に協力し、デンマークラジオハウスのインテリアデザインの多くを担当します。現在復刻されているラウリッツェンのラジオハウスペンダントは、就労中のフィン・ユールによってデザインされたものであると噂されています。フィン・ユールは、ラウリッツェン事務所に所属しながらも、1937年には独自の彫刻技術を持つキャビネットメーカー Niels Vodderとの協働を開始。同年に開催された第11回目のキャビネットメーカーズギルド展へ初出展します。しかし、人間工学を無視した構造と奇抜なデザイン、そして家具作りの教育を受けていない亜流からの流れという背景もあり、世間や業界から酷評を受けます。キャビネットメーカーズギルド展は、それまで続いてきたデンマークの古典的な様式を一新しようとする若きデザイナー達にとって新しいトレンドを発表する重要な展示会でしたが、それまでの重厚で豪華で装飾的な伝統主義に背を向ける姿勢となるプロジェクトは物議を醸し、中でも家具工芸の資格を有さないフィン・ユールの作品は、保守的なデンマーク人たちから多くの批判を受けたと云われています。しかし徐々に海外からの評価と需要が高まり出します。1945年、ラウリッツェン建築事務所を退社したフィン・ユールは、コペンハーゲンのニューハウンにインテリアと家具のデザインを専門とする自身のデザイン事務所を立ち上げます。1950年代に開催されたミラノトリエンナーレに出展した複数のプロダクトが金メダルを受賞すると、国際的な評価は更に高まり、1950年代には、より国外の市場へ向けた多くの製品を生み出すようになります。ノックダウンしたまま出荷できる製品なども開発し、盛んに輸出しました。その頃、ニューヨーク市の国連管理委員会会議室のインテリアデザイナーも務めます。1960年代以降は時代の流れも変わり、フィン・ユールの作品は世の中から一旦忘れ去られますが、1990年代以降は再び関心が高まり、当時作られたヴィンテージ品は各国のオークションで高値を呼び、プロダクトは「House of Finn Juhl」によって現在も復刻生産されています。